明るい?認知症2022年02月18日 14:27

 
 夫は、いつもいろいろな物を探しています。今朝は、「入れ歯の洗浄液を替えようとして(あまりにも酷いので、昨日私が黙って替えた)、入れ歯を何処かに置いて、散々探したら、もう洗浄液の中に入っていた。1分前のことも覚えていないな、あははは〜」と。

 昨年は、前日のことを覚えていないことが多くあり、認知症が進んでいるなとは思っていましたが、1分前のことも覚えていないと言うことは、かなり進んでいると言うことで、夫の「あはは〜」とは程遠い気持ちになりました。

 でも、1分前のことを覚えていないと言うことを思い出すと言うことは?よくわからなくなります。夫は「自分できちんと飲んでいる」と言い張るので、放っておくより他はないのですが、もうどの薬が何のためなのか?わかっていないことを想像するに難くない、薬の残り方です。

 母の時は、後で思い返すと50代後半に認知症が発症したと思うのですが、当時は「この年齢で認知症に罹る」と言うことは医師も考えない時代でした。母は「頭が霧の中にいるみたい。でも、もうちょっとで抜け出せような気がするの」と、苦しんでいる姿を、今でも思い出します。

 当時の医師曰く、「いろいろなことがわからなくなって楽になるまでには、あと10年くらい苦しみます」と。酷い病気だと思いました。

 ですから、67歳で急死をしたときは、「もう苦しまなくていいんだよ。楽になったね」と、ホッとした気持ちもありました。ただ、変死扱いで、その後事件性ありと、再捜査になった時にあの阪神淡路の大震災。母の解剖記録は全て消え、母の死に納得のいかない気持ちは、今でも否めませんが。

 そんな母の認知症発症から数年間の様子と比べて、夫の認知症は、あまりにも「自分にとって都合の良い解釈」が多く、母を介護した時の経験が全く活かせず・・・です。

=とにかく明るい、「カーリングのロコ・ソラーレ」のみなさん。あんなに大きな声で、試合の最中に、あははは〜と笑えることが羨ましいな。=

介護申請&ケアーマネージャーさん2022年01月31日 11:47

 
 夫の「認知症」に関しては、このblogでオープンにするのはやめようと思っていますが。この年末年始は、2月の「介護申請の更新」に向けて、「医師の診断書」「ここ,12ヶ月の日常の様子」「介護する私が一番困っていること」などなど、直面せねばならないことがたくさんでした。

 「高齢者精神科」に騙して連れて行き、その後の諸々の検査の結果、「認知症」との診断が出たのですが、医師からの告知は理解できず、私が告げたときに、「おまえがそんなことを決めたのか!寄ってたかって俺を認知症に仕立て上げるのか!」と、病院のロビーで大暴れ。

 そんなことが数回あったので、夫には「介護申請」のことも、ケアマネージャーさんが、毎月来てくださることも、皆さんの協力のもと、うまく?ごまかしています。

 目下の最大の問題は、プライドの高い夫に「どうしたら紙パンツを履かせるか?」ということで、このことはもう昨年からの課題です。

 このような毎日ですが、認知症と診断されて、一つよかったことがあり、それは、警察を呼ぼうかと思った程の、私への罵倒と暴力が、病気故だと分かったことです。私自身も、一つずつ問題行動への対処を学んでいます。

=今日は明るい内容ではなかったので、写真を楽しいものにしました。1月の東京に大雪が降った時のものです。高校生の孫が一人で雪だるまを作っていたところに、近所の方が通りかかり、バケツと人参をくださったとのこと。後ろの、フード姿の怪しげな男の子が孫です。=

私が消えていく不安2022年01月30日 12:33

 
 昨年は世界中の国が「コロナ禍」に翻弄され、まだ先が見えない状況です。私の中でも、もちろんコロナの不安はありますが、「夫の認知症の進行」に明け暮れた一年でもありました。

 元々「俺様タイプ」の夫ですが、ここ数年はあまりにも酷すぎる・・・
そんな時に、私がダウン。検査の結果、原因は夫にあるのではないか?とのことで、「高齢者精神科」の予約をとっていただきました。

 結果は、「レビー小対型&アルツハイマーの認知症」と。そして脳神経外科でのMRTの検査の結果、また脳腫瘍が見つかり、介護認定は「要介護2」。
この介護申請は、毎年更新をしなければならず、昨日「認定士」さんがいらして、夫の様子と話を聞いていました。

 介護度は上がると思うが、本人がデイケアなどのサービスを拒否しているのであれば、介護認定はあまり意味がないと。身体的には多少の不自由はあってもさほどではなく、本人の意識のある部分だけはっきりしているという、介護する側にとっては、一番厄介なタイプとも。

 メディアでZoomのことが取り上げられると、先日も書いた宗川博氏とほぼ出来上がっていた、ソフトを思い出しますが、ほろと夫の介護に明け暮れる一日は、自分自身が消えていくような不安を覚え、せめて外に向かって何かを発信したいという気持ちもあり、blogの再開です。

=写真は10月頃の朝焼けです。この時間にほろに起こされます。今はまだ真っ暗なので、陽が昇ってから「屋上のテラス」に連れて行きますが、老犬の介護も辛い・・・です。=

軽度の認知症とは言うものの・・・2020年03月26日 11:40

 
 昨夜、小池都知事から「overshootの可能性もある」とのことで、様々な要注意事項が発表されました。

 「不要不急の外出は控えるように」と言うことですが、このコロナな騒ぎが始まってからも、うちの「年寄り」は、毎日外出&どこかでランチを。

 かかりつかけの医師からは「マスクの着用と手洗い」を言われたとのことですが、「俺は生まれてこのかた、マスクをつけたことがないっ!」と言って、帰ってきたそうな。

 先日は「最近食欲がない」と医師に言ったところ、「太りすぎだからちょうどいいじゃない」と言われたと、お怒りの様子?でしたが、医者も人間です、診察のたびに言い返されたのでは、「見放すのも無理はない」と私は思っています。

 仕事人生においては、気の合う取引先の社長、絶対に逆らわない部下、運転手、秘書さんたち、そして家ではメイドという狭い人間関係の中で。そして今、仕事をやめた日常は「孤独だ」と言っていますが、それは自業自得。

 最近特に「物忘れ」という以上に、ほとんど「自分が興味のあること以外は理解ができず、覚えてもいない」ということに、困っています。

 先日は、ついに「俺が理解できるように説明をしないから憶えていない。俺が憶えていないと言う証拠を見せろ」と言い出し、可哀想だとは思いましたが、医師の診断書を見せました。

 文字を読むと言う行為はもうできず、2度読み上げたのですが、全く理解ができない?と言う顔をしていましたので、あかーんわ。

 母は、現在でしたら「若年性アルツハイマー」とでも診断がついたのでしょうが、50代の後半に「一体どうしたの?」と思える言動が始まりました。

 まだ初期の頃に、「洋子、もう少しで霧が晴れるような気がするのだけど、霧の濃い山の中に迷い込んだような感じがする」と苦悶の表情で話していた、病院帰りのことをいつも思い出します。

 当時の医師曰く「この状態があと10年は続く」とのことで、残酷な病気だと思いました。しかし死因が不明のままの急死とは言え、時間が経つにつれ、母にとってはそんなに悪くはない最後だったと思えるようになりました。

 夫の場合は、医師も「この歳まで、暴飲暴食の好き勝手をやってきたのですから、もう好きにさせましょう」と。

 でも、この「コロナ」は、感染力が強いのです。もし、あちこち出かけていて感染をしたら・・・なーんてことは、全く考えていません。私にも感染をすると言うことなのですけどね。

 先日面白い会話がありました。「洋子はこう言うことに全く関心がなく疎いけれど」と、現在の世界の経済状況を話出しました。相撲とお金の話は好き(みたい)。

 彼の趣味の株に関しては、証券会社に「医師の診断書があるので、これ以上夫に新規の株を勧めたら、しかるべきところに話をもって行きますから」と、担当の若い社員にクギを刺しておきました。

 バンコクを引き上げる時、Visaの取得のためにBangkok Bankに預金をしていたbahtを、米ドルに。しばらく放置をしておいたのですが、先日の円高ドル安の時に、即、手持ちの日本円をドルに替え、放置しておいたドルを加えて投資信託に。

 もちろん、夫はこのことは知りません。ふっふっふ・・・
「再婚前の預金は、それぞれのものである」と言うことも、夫は知りません。「二人の預金を合わせて〜」が口癖ですから。

=写真は「SUITS」のHarvey役の、Gabriel Macht=