久しぶりの東京駅2022年09月14日 13:54

 
 コロナ禍以来、ほろの散歩もなくなり、お箏のボランティアで小学校に「お箏のセンセイ」として東京の西、多摩市から東の墨田区まで出かけることもなくなり・・・。

 毎日朝の4時頃にほろに起こされ、そこから老犬と老人の世話の毎日で、時々「もぉぉ、だめ!」となります。でも逃げ出すことはできません。認知症の夫は、知り合った頃の面影が日毎に消えて行き、最近は、身寄りのない親戚のおじーさんのお世話をしている、と考えるようにしています。

 こんな毎日でも、たまーに楽しい一日があります。昨日がそんな日でした。もう45年にもなる友人と、久しぶりのランチでした。友人が選んでくださった、東京駅前新丸ビル5Fの「メゾン バルザック」。

 佃のタワーマンションに住んでいた頃は、仕事で新幹線での移動もあり、また歩いても行ける距離なので、この辺りは馴染みのある土地だったのですが、聖蹟桜ヶ丘に住んでからは、本当に久しぶりで、「東京に来た」と言う気持ちになりました。

 そして、友人と会った最初の言葉が「少しお痩せになった?」と。ふっふっふ・・・嬉しい!体重は変わっていません。多分、最近始めたスイミング教室効果でしょう。

 想定外に元気なほろのお陰で、家を空けることが難しい日々ですが、やっぱり外に出ると気持ちが良い!楽しい一日をありがとう!

=写真は、窓側の席に案内されて、思わず撮った美しい東京駅です=

北京ダックを食べる会2022年04月07日 13:24

 
 高校2年生の孫が、いつまで娘と私のお食事に付き合ってくれるのか・・・今のところは、友達同士では食べられないもの(つまりお値段がお高いもの)につられて、喜んで参加をしていますが。

 娘がかなり飲み、また土曜日の仕事帰りに集合なので、お食事が始まるのが7時からになり、蔓延防止中はこの会も中止でした。

 北京ダックは、halfを頼みますが、それでも大半は孫が食べます。日本でのホテルや有名店の北京ダックの量は、ぼったくり!に近い。

 Bangkokではhalfと言う注文の仕方はなく、当然丸々一羽ですが、肉はまた別の料理で出てきます。

 吉祥寺の「吉祥館」は、その都度肉料理を別に作ってくれたり、先日は、皮に肉を少しつけ、残りはスープに。

 もちろん北京ダックの他にも数品頼みますが、これもすごい勢いで孫が食べ尽くし、「お腹がいっぱいでもう入らない」と言う孫を先に帰して、娘と二人で「大人の味のものとデザート」を。

 夫も誘いたいところですが、もうこのような形での外食は無理。時間が持たないのと、歯応えのあるものは食べられず。また何を仕出かすか?わからないので、誘えません。ま、Bangkokでは4人で散々、北京ダック専門店に行きましたから。でも、こっそり行くのは気が引けます。

=久しぶりの吉祥寺は、若い人がいっぱい!そして欲しいものもいっぱい!小さな観葉植物と、夏のワンピースを衝動買い。=

楽しいランチ2018年09月17日 20:29

 
 ちょうど2週間前の今日は、お箏のレッスンの前に、家で脚に珈琲をかけてしまい、火傷よりも=パニック状態になったことがショック=の一日でしたが、脚の痛みも取れてきました。

 今日は火傷の跡はまだまだ消えませんが(多分残る?)、余裕を持ってレッスンに行くことができ、そして新宿でSydney時代からの友人とランチを。

 新宿小田急デパートのレストラン街にできた、新しい焼肉のお店「草庵」に行きました。家族で焼肉に行くと、私は「焼肉当番」の如きで、あまりゆっくりいただけませんが、お友達ふたりですと、お互いに「ゆっくり食べたね」という感じで、お肉も美味しかった!

 そして、どんなに間があいても、かれこれもう40年近く過ぎるのに、すぐにあの頃の気持ちに戻っての楽しい会話!20代最後を共に過ごし、沢山の「初めての海外生活のあれこれ」が、つい昨日のことのように思い出されます。

 最後は、つい最近70歳になった友人に「シルバーパス」なるものを教え、盛り上がって、「さよなら〜」でした。また会ってね。

=写真は、この夏、軽井沢のガラス工房で、孫が作ったグラスです。「今日は敬老の日だから、ノンナに電話した。元気?」と。=

時が遡った一日。2017年09月06日 21:41

 
 私の幼稚園以前からのお友達のお母様が、98歳でお亡くなりになりました。ご葬儀は家族葬でとのことでしたので、お花を持ってお線香を手向けに、お伺いをさせていただきました。

 想い出は小さい頃のことが多く、懐かしい写真をたくさ見せていただき、お正月にご近所がみんな晴れ着をきての集合写真があり、良い時代でした。そしてその中に、弟を抱いた父(私が父と最後に会ったのは18歳で、父の写真は一枚もありません)と、母が写っていました。一瞬、涙がでそうに・・・。

 子供の頃の私の姿は、どれも精一杯、優等生らしき顔をして、背筋はピンと伸ばしていてます。髪は毎朝母がリボンをつけてくれ、洋服も母の手作りで、靴は黒い革靴。お友達は、それぞれ自由なスタイルで写っているのに。

 今、客観的にそれらを見ると、痛々しいくらいの、良い子ぶりです。きっといつも「母が望む子供」でいようと、私なりに努力をしていたのでしょうね。
 
 そして「あ、これはまだ見ていなかった」と何気なく手にしたアルバムに、な、なんと「初恋の人」と一緒の写真がありました!もちろん私とふたりきりではなく、お友達のお兄様なので、数人と一緒です。

 その初恋のひとは、当時早稲田の理工学部で、IBMに就職が決まっていらして、10進法ではない、数字の法則を教えていただきました。実はみんなにはナイショで、数学を教えていただいていたのです。そのために、あまり得意ではなかった数学を、私なりにかなり勉強をしたものです。教えていただくには、ある程度のところまで理解をしていないといけませんから。

 acoustic pianoの世界からdegital pianoの開発の仕事になったときに、初めて、あのときに教えていただいたコンピュータの話とつながりました。
もう、55年の月日が過ぎましたが、ちょっと大げさに言うと、「一日たりとも忘れたことのないひと」です。

 アルバムから丁寧にその写真を剥がして、いただいてきました。
一気に、乙女の心!?です。もう一度、一度でいいから会いたい・・・。

=さすが田園調布です。その友人のお宅のちかくに、こんな素敵なイタリアンのレストランがあり、ご馳走になってしまいました。お店の名前はこのイタリアのタイルが表しているように、UN CANE UN GATTO、つまり「犬と猫」とのことです。=

TATTORIA・UBRIACO2017年04月13日 22:24

 
 ヤマハから出版をした、私のピアノの教本をピアノのレッスンに使ってくださる先生方の組織「ピアノアソシエ」は、経費が全てヤマハからだったので、所謂「販促資料扱い」の無料の会報となり、会員数はかなりでした。

 日本中、大きな楽器店さんにはほとんど行った、というくらいのセミナーの回数でしたが、私がセミナーで直接、このメソッドの活用方法をお話しできる方々は限られてしまい、この会報での「誌上レクチャー」となった次第です。

 そして、この組織も解散することになり、このままfade out とするのはなんとも残念で、私個人で継続をすることになりました。そこで、作曲家の仕事仲間に手伝っていただき、一緒に「音の樹」という、ピアノの先生の組織を作りました。

 また「会報」という形で、私はdigital関連のことを、作曲家の友人には、アレンジや和声に関する内容をお願いし、今度は無料というわけにはいかないので、会費制に。当然、会員数は激減しましたが。

 しかしその間、会費は使わず貯金をしておいたので(つまり二人ともギャラ無しでの仕事ということです)、私が帰国をしてからこの貯金で、たまーに、贅沢ランチをします。

 前置きが長くなりましたが、今回は聖蹟桜ケ丘のイタリアンで、
Trattorìa(トラットリア)UNBRIACO(ウンブリアーコ酔っ払いの意)に。

 昼間っからワインをいただいて、フルコース(どのお皿も完食でありがとうございます、と言われてしまった)のイタリアンで、幸せな一日に。当時の会員のみなさま、ごちそうさまでした!

=ホロのお陰で、家の近所を散歩するようになりました。こんなに綺麗な桜があったのですね、知らなかった=