ちょっと早い母の日2022年05月07日 09:54

 
 今年は日にちの指定が出来なかったとのことで、ちょっと早めに届きました。毎年、娘なりに気を遣ってくれているのでしょう。

 私は母に最後の「母の日のカーネーションとプレゼント」を贈った時のことを、全く覚えていません。絶対に何かを贈ったはずなのですが。その年の9月の敬老の日のことは良く覚えています。母は67歳、私が47歳の時のことでした。

 その数年前に、新宿の実家を売却し、私が住んでいた神戸の部屋は賃貸にして、いわゆる「スープの冷めない距離」に、マンションをふた部屋買いました。母が、「生活時間が違うから一緒の部屋は嫌」と。

 介護とまでは行かない程度でしたが、認知症の母の世話をしていました。そして数年が過ぎた頃の残暑の厳しい日、冷たく冷やした巨峰を届けましたが、母の部屋は鍵がかかって、チャイムを鳴らしても出てきません。母は自分の部屋で亡くなっていました。

 変死扱いになり、解剖の結果、母の死亡は9月11日となりましたが、その数日後に「洋子さんのお母様が外をお散歩をしているのを9月12日の午前中に見た」と言うご近所の人が現れました。

 「絶対に洋子さんのお母様だった」との根拠は、前の年の敬老の日にプレゼントをした、「ラベンダー色のスカートと同系の花柄のブラウスを着ていらして、素敵だったので、何度も振り返って見ました。そしてうちの母にもあんなプレゼントをと思ったので」と。

 母が亡くなった時は、弟が「もしラッシュが来たらあと数ヶ月」と言われた直腸癌が奇跡的によくなり、家族での海外旅行を目標に頑張った抗がん剤治療が終わり、パリに旅行中でした。母の弟の叔父は、学会でミラノに。

 そんな理由で、喪主は私となり弟一家が日本に帰ってくるのを待ち、家からオーディオを持ってきて、音楽葬にしました。レクイエムは、数あるレクイエムの中から、優しい雰囲気の、フォーレを選びました。

 献花をしていただいてる時の曲は、ショパンのノクターンを。娘からの気遣いに嬉しくもあり、母の想い出は寂しくもあり・・・です。

=今年は、アレンジメントではなく、鉢植えのカーネーションが。育てていくうちに花のいろが変化するとのことです。それと、和菓子のセットが付いていました。こちらは、母の日の前に食べてしまった。=