洋子の鬱日記・11 ― 2016年05月08日 17:14
「鬱と診断されて20年」。そして現在のDr.になってから10年になります。途中で、Bangkokでの生活もありましたが、日本で処方された薬と同じものを出してもらっていました。
母親のこんな苦しむ姿を見せたくない、ということと、あの阪神淡路の震災の街から逃げ出したいとの気持ちで、なんとか東京に戻りたいと思いました。ちょうど、娘はFirenzeに、息子はSydneyに留学中だったので、私の独断で決めました。
条件は、新幹線での移動が多かったので、東京駅に出やすく、且つ一番の条件が「地震に強い基礎ができていること」でしたが、、当時はどのマンションも「そこまでは考えていません」と。
そこで決めたのが(私には分不相応の買い物でしたが)、佃の「century parktower」でした。超高層マンションのハシリで、中央階の33Fに「完全防音のC3のグランドピアノが置いてある練習室があったこと」も、魅力のひとつでした。
ただ後で考えると、「東京に帰りたい」という一心でしたが、不動産売買というのは、かなりのストレスだったようです。鬱、特有の症状が出始め、虎ノ門病院には、両親の関係で知り合いのDr.がまだいらしたので、まずそこを訪ねました。
「Dr.も私も、更年期障害からくる鬱」と考えたのです。45歳のときに婦人科系の手術をし、当時はその後のケアは何もなされいませんでしたから。
そこでホルモン投与を始めたのですが、ある日突然「自殺願望」が強くでました。そのことを話したところ、紹介状を書いてくださり、虎ノ門病院の精神科の滝村先生に。
今は独立をして「精神科&心療内科」を開業なさり、そこに通っています。そして「ここ数年、微熱が下がらない」と言ったところ、滝村先生が、同じフロアーで、かつて虎ノ門の内科部長や画像診断所の所長をなさっていらした、原先生をご紹介してくだいました。
微熱の原因は結局わからずじまいで、膠原病の疑いだったのですが、抗核抗体の数値が正常値を超えているものの、発症には至らず、様子を見ているところです。この病気よりも問題なのは、偶然見つかった「中大脳脈狭窄症」のほうで、原内科から処方されている薬のほとんどは、このための「予防薬」のようです。
上記のように、各科が連携プレーで治療をしてくだっているので、薬はDr.を信じて、処方通り飲んでいますが、最近は結構つらくなってきました。でも、飲み続けるしかない?
=佃にいた頃にレッスンにいらしていたピアノの先生が、「今、懐かしいところを通過中です!」と送信をしてくださいました=
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