甘草屋敷〜子供文庫〜 ― 2016年10月01日 13:39
塩山の「甘草屋敷」には、母屋の他に幾つかの建物があり、そのひとつの、附属屋・文庫蔵に「甘草屋敷こども図書館」が、平成14年に整備された由。
懐かしい本がたくさんありました。
そんなに多くの国の現状を知っているわけではありませんが、諸外国には、子供の年齢に合った「幼稚園」があります。私の長女は、2歳半からSydneyのnurseryに通いました。
日本のいわゆる幼稚園とは違い、お昼寝の時間を含めて、かなりの長い時間をそこで過ごすので、ほとんど英語の生活になってしまい、帰国をして、小学校に上がる前のほんの少しの時期を、日本の幼稚園にと、探しました。
その際にびっくりしたことは、どの幼稚園も「給食があり、送迎バス、中には飛び箱を取り入れたり、ピアノのレッスン」などなど、盛り沢山過ぎ!
=みんなと仲良く遊べて、きれいな日本語の幼稚園=私が望んんだのはそれだけで、やっと見つけたのが、世田谷区の「わかたけ幼稚園」でした。
残念ながら、今はもう存在しませんが。
そこでは、毎週水曜日に絵本を2冊借りて帰り、母親が子供に読み聞かせ、親子それぞれの感想をノートに記して、翌週にお借りした本を返します。
このときの本が、この「子供文庫」にも沢山あり、わかたけ幼稚園の絵本の選択が、いかに素晴らしいものであったか・・・と改めて実感をしました。
私が娘に読んで聞かせた絵本は、孫にそのまま受け継がれています。
=甘草屋敷の甘草は、ウラルカンゾウで、開花期は6〜7月とのこと=
わかたけ幼稚園のこと ― 2016年10月02日 13:29
甘草屋敷の「こども文庫」から、我が家の子供達が通った、わかたけ幼稚園の「わかたけ文庫」に想いを馳せています。
この「絵本の貸し出し」の他にも、いくつか特徴的なことがあり、そのひとつが、「わらべうた」でした。このことが意味する大きなところは、「こどもの声の音程にぴったりはまっていること」。
わらべうたの歌詞のすばらしさはもちろんのこと、なによりも、ピアノという楽器に先生方が頼らなかったことです。ピアノは「まるでオーケストラのように奏でることのできる」という、最大の特徴を持った楽器ですが、ではその音程は?と言うと、数ある楽器の中でも、「唯一、調律(調弦)を自分で行わないこと」で、調律をした直後からその音程は、どんどん変わっていきます。
では、音程を正しくとるためには?そして、それが手軽にできるものは?
今では「tuner」が一般的ですが、当時(いや今も)は、「音叉(おんさ)」が一番確実で、手軽でした。
先生は、子供達に歌わせる前に、まずご自分で、Aの音叉を耳元で小さく鳴らして音程をとります。それから子供達が先生に合わせて、歌います。
ピアノのレッスンでは、ほとんどの教本が、「中央のC」から始まっていますが、この音から歌いだすのは、間違いです。何故ならば、幼児が一番出しやすい音は「Aの前後」だからです。
試しに「🎶あそびましょ」や「🎶もういいかい?」などの言葉を歌ってみてください。Aの音を中心にして、その前後のはずです。
この「わらべうた」に関しては、当時、幼稚園内でも、お母様方の間でも、賛否両論がありました。私は「ピアノの先生」でしたが、幼稚園での歌唱指導は、もちろん「わらべうた支持派」でした。
=友人から株分けをしていただいた、ミセバヤの花が咲きました=
京都で叔母の葬儀に ― 2016年10月08日 21:28
長い間、いろいろな病気に苦しめられたきた叔母ですが、最後のときは、お昼をいただいて、その後お昼寝をしているかと思ったら、心臓が止まっていたと言う、安らかな最後だったようです。
私は、6日が八広小学校の体験学習、そして午後からは、言問小学校の練習日で、きつい一日になりそう・・・と思っていましたが、キャンセルをして京都に向かいました。
もう90に近い叔父の代わりに、全てを取り仕切っていた従姉妹の気丈さが、むしろ痛々しかったのですが、身内と叔父の弟子と孫弟子だけという家族葬ということでしたので、敢えて従姉妹に任せて、「それとなく手伝う」という立場をとりました。
叔母は、享年85歳となりますが、この年代の女性で、早稲田の経済学部卒の高校の教師、叔母の妹も同じ経歴。叔父は大学の元教授、従姉妹は大学の講師、私もセミナー稼業だったという、「しゃべることが仕事」という人種ばかりで、最後は「叔母の面白エピソード合戦」となってしまいました。
叔母は今頃、あちらの世界で「あなた達って、やーね」と笑っていることでしょう。私の母には会ってくださったでしょうか。
=葬儀の終わった後に、ひとりで銀閣寺に行きました=
今頃になってどっと疲れが・・・ ― 2016年10月09日 15:37
先週は、お箏のボランティアの日程が詰まっていたことと、実は、久しぶりの私自身のお箏のLessonの日もありました。
京都から帰る翌日なので、時間的には可能だったのですが、お休みにさせていただきました。先生が「Lessonを休むと逆にstressになるようだったらいらっしゃい、疲れて無理そうだったお休みに」とおっしゃってくださり、そのお気遣いが嬉しかった!です。
今回は、少々間があき、練習時間はとれたのですが、「地唄」はどうも何か違うようなきがして、特に声をのばすところは、息が続かなくなるか or コブシが入ったりして、これじゃ演歌だと。
間違った方向に練習をしているのでは?と、不安です。今週の土曜日に振替の日を作ってくださったので、その時にわからないところが、はっきりすることでしょう。
従姉妹が「パパは普通の年寄りと違って、ひとりでなんでもできるし、ひとりでいることが好きだから」と何度も言っていたので、葬儀の夜は、疲れてもいるだろうしと、叔父の家に行くのをやめました。
でも、「関西にはないから、もし東京土産を持ってきてくれるのならば、貝新の蛤の佃煮がいい」と以前に言っていたので、それを渡した時に、「最近夕食の支度が面倒になってきたから助かる」と。
叔母の妹さんに会うのも60年ぶりで、もうひとりの従兄弟とは、20年ぶりで、当時赤ちゃんだった女の子は、大学生とのことです。
叔母に、「娘が、日本女子大に入ったと言ったら、そんな大学は知らん」と言ったそうな。早稲田のすぐ近くにあるのに・・・と言っていました。
葬儀というのは、こうして懐かしい人達に出会わせてくれる、という意味もあるのですね。
=閉館間際で、桜でも紅葉でもないこの季節の銀閣寺は、静かでした=
友人のご親戚のご葬儀 ― 2016年10月10日 13:45
この6月に、中学からの友人が亡くなりましたが、私達がお見舞いに行った最後のときに、あまりにも辛そうだったので、「これ以上頑張れ、とは言えないね」と言いながら帰ってきて、訃報が届いたのは、その2週間でした。
そして、今月は叔母の急死。
家族葬でということだったので、私の立場は「びみょー」で、東京の友人たちに、adviceを求めました。私も、夜になると、ホテルでひとり過ごすことに不安だったのだと思います。仕事であちこちのホテルに泊まっていた頃とは、事情が全く違いますし。
そして昨日、子供達が幼稚園のときからの、今で言う「ママ友」から、「今年、大学受験で預かった甥の父親が、出張先で急死。10日から行きます」とのmail が送信されてきました。そして「家族にかける言葉がない・・・」と。
私達世代は、一時「親の葬儀」が続きましたが、これからは、いつ何度き、どのような知らせが来るのかわからない年代に入ったということでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。
=京都は、叔母の葬儀の日から、秋になりました=



最近のコメント